No.181 お世話から自立の支援へ、介護士の歴史
日本では昭和時代の終わり頃から、高齢化社会への対策が必要と言われてきました。それまで、介護は各家庭で行うか、養老院などで行ってきましたが、高齢者の人口増加に伴い対応が難しくなり介護士の必要性が出てきました。今回は、介護士の歴史を解説していきます。
介護は家族だけが行うから介護士もサポートする時代へ
戦前、明治時代から大正時代にかけて、介護特別老人ホームの前身である養老院と呼ばれる施設が誕生します。この頃は老人介護を家族や親族でやるものという意識がとても強く、特別な事情で身寄りがない高齢者のみを支援している状況でした。
戦後の1956年、長野県で家庭養護婦派遣事業というホームヘルパー制度が始まりました 。戦争で家族の男性を亡くした女性の働き口であったようです。1958年に大阪市で同じ様な家庭奉仕員制度が始まります。当初は自治体単独の福祉サービス事業でした。
1963年、老人福祉法成立。それまでは民間事業であった介護サービスが国の事業として制度化されます。現在のホームヘルパー事業である老人家庭奉仕員派遣事業も、この時に始まりました。養老院も老人ホームへ名称変更されました。
1987年に厚生労働省で「社会福祉士及び介護福祉法」が制定され、介護福祉士が国家資格としてスタートを切ります。当初は身の回りのお世話をする仕事だったのですが、徐々に利用者の自立サポートというスタンスに変わっていきます。
1989年、ゴールドプラン
1989年、高齢化社会への本格的な対策として、高齢者施設や介護職員の必要数を具体的に決める高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)が誕生。ホームヘルパー10万人や老人ホームを24万床など様々な具体的数値目標が設定されました。
◎在宅福祉対策:ホームヘルパー10万人、ショートスティ5万床、デイサービスセンター1万ヵ所、在宅介護支援センター1万ヵ所
◎施設福祉対策:特別養護老人ホーム24万床、老人保健施設28万床、ケアハウス10万人分
◎地域ごとの機能訓練実施、寝たきり予防策など
このプランの主な目的は、これまでの施設介護から在宅介護へのシフトでした。それまでの福祉予算抑制の動きを見直し、具体的な数値目標を盛り込んだゴールドプランは国をあげての福祉社会に向けた大きな転換点になります。
介護保険制度へ向けての取り組み
1994年、市町村ごとにまとめられた指針にもとづき国は「ゴールドプラン」を見直し、ヘルパーや施設の増設を行う「新ゴールドプラン」を発表。ゴールドプランで掲げられた数値目標を、大幅に上回る数の介護人材確保や施設数目標が5ヵ年計画として改変されます。
2000年「介護保険制度」が施行。尊厳を重視し自立を支援する時代へ
この制度は高齢者や障害者など介護が必要な人に対して、費用の一部を支援する制度です。高齢者と障害者が様々なサービスを受けやすくするため、共生型サービスを設けるなどの取り組みも行っています。
さらに同年、ゴールドプラン21が発足。それまでは「身の回りのお世話」が主だったのに対し「自立を支援する」様になりました。利用者が自発的に社会参加できるような目標に変わります。厚生省は「身体拘束ゼロ作戦」を目標に掲げ、ケア改善を求めます。
- ■まとめ
- 戦前の民間で行われていた慈善活動から、国全体での取り組みに変わった福祉事業。介護士の立場もどんどん重要になって来ました。それまでの”身の回りのお世話をする仕事”から”自立を支援する仕事”へと。超高齢社会に向けて、介護士はますます重要視されていくでしょう。